一週間の始まり

July 31, 2000

昨日までのtripの疲れが全然抜けずまた一週間が始まる。

8/2にあるヒヨコちゃんの誕生日のため、surprise partyの準備をし始める。

ちょうどみんな日本食が恋しくなってきているころだろうということで、日本式のカレーを作ってカレーパーティーをすることにする。

ココには、36人分のカレーを作れるだけの鍋もないし、色々な調理器具も足りないので、今日はそれらを買いそろえる。

また、Bostonから来たスタッフを空港までpick upしに行ったりと大変。

今週こそはと思って、自分の勉強を始めようとしたけど、結局撃沈。

このままだとヤバイかも。


Fishing

July 30, 2000

あまり昨日は釣りという釣りが出来ず、初めてのヒヨコちゃんにルアーの投げ方を教えていただけで、終わってしまったので、うっぷんを晴らすべく今日は朝食前から出発。

モーターボートを自分で運転しつつ、遠くのポイントを目指す。

途中、浅瀬に引っ掛かったりしたけど(普通、岸に近いところが浅くなっているはずなのに、ここでは何故か岸から全然離れたところが急に浅くなっている。)pointに到着。早速ルアーを投げ入れる。すると、早速食いつく。いきなり一匹目が釣れてしまった。たぶん、スモールマウスバス。一緒に乗っているヒヨコちゃんの世話を焼きながら釣りを楽しむ。正直、100%楽しめたかどうかって言われると、疑問だけど。

何故ならば、ラインをからませたり、根掛かりさせたり、釣った魚が触れなくて外せなかったり、それだけじゃなくてボクを釣り上げたり…男だろ?

結局、時間が来てしまったので2匹をあげた時点で終了。

朝食を摂りに戻る。

そこで、今回で一番のトラブル発生。

4匹のヒヨコちゃんが朝食に現れない。もちろん、それが寝坊とかならば、なんも問題ないけど、どうやらカヤックで出発したらしい。不安になりながら朝食を早々に食べ終わり、湖畔で見守っているとその内の一人がずぶ濡れで何かを叫びながら走ってくる。カヤックが転覆してしまったらしい。スタッフの一人と急いでモーターボートを出し、駆けつける。

奴が急ぐあまりショートカットして浅瀬に引っ掛かったりしたものの、なんとかその地点を目指す。すると、他のボートが彼らを助けていてくれた。しかも転覆したカヤックを曳航しながら。そこで、カヤックを引き継ぎ、戻ることにする。

途中で、一緒にいったスタッフがカヤックを自分たちのボートに結びつけようとしたけど、スクリューに絡めてしまったり、途中でボクらのモーターがかからなくなってしまったりとかなり散々な目にあいながらも戻る。

本当に焦った。聞けば、ボクらが到着したころでは本当に危ない状況に陥っていた可能性があったらしい。

助けてくれたヒト達にお礼を言い、UMaineへと出発する。

これだけでも朝の出来事。本当に長い一日だった。


Hike

July 29, 2000

今日はHikeの日。

何人かは残って湖での釣りを楽しむみたい。犬が死ぬほどダメなヒヨコちゃんもここにいると犬と一日中接してなければいけないからと、参加することに。まぁ、これもプチ・トラブルの元だったかも。

バス、ピックアップトラックに便乗して目的地を目指す。

野郎共はほとんどピックアップトラックに乗り込みはしゃいでいる。これからのことも知らずに。一行は舗装されていない道をムチャムチャとばして目的地を目指す。最初は喜んでいた野郎共は、一台目の女の子達が乗ったバスが巻き上げる砂ぼこりの餌食になることに。

しかも、運が悪いことに120kmで走っていたにも関わらず、一人の男の子が走行中、蜂に刺される。何故?

一同みんなが焦る。とりあえず、みんなから薬をかき集めて、薬を塗って、とりあえず出発。

目的地に着くころにはだいぶ彼は大丈夫になったけど、本当に焦った。

Hikeを始める地点に着くとそこには水が澄んだ湖が広がっている。降りてきた野郎共はまるで浦島太郎かのように、一様に髪の毛が白くなって老けている。みんなその水で顔や髪を洗ってさっぱりする。

虫除けを全身にかけてHikeに出発。ボクも腕とかにこっちで買った虫除けをつけたら、なんと、腕時計のゴムバンドの表面が溶けてきた。なんて強力なんだか。本当に虫は寄ってこなそうだけど、絶対人間にも悪いはず。

テケテケ最初は楽しくHikeが始まるものの、やっぱりトラブル発生。ボクたちの後を犬が追いかけてくる。後で分かったことだけど、飼い主と一緒にHikeをしてたわけ。最初は犬嫌いなヒヨコちゃん達がいるところにいかないようにするものの、やっぱり行ってしまう。何度かそういう場面にHike中遭遇した。ヒヨコちゃんの面倒だけではなく、犬の面倒も見なければいけないのか?

湖畔の岩場で一時休憩。

その後、本格的に登っていくことになる。みんなそれぞれのペースで登りすすめるので、ボクは遅い女の子達と一緒に行く。汗をカキカキ登っていけば、頂上が近づいてくる。登ってみれば、そこら辺が全て見渡せるスゴイ景色が広がっていた。そこで昼食をとり、休憩する。そこにそびえる展望台の様なタワーに登ったりする。元々そんなに山歩きが好きって訳でもないけど、あの爽快感がヒトを引きつけるのかなぁとふと思った。実際にやらないと分からないものだ。

山を下りつつ、途中何人かは湖で泳ぐ。

そして、クタクタになりながら車のある場所まで辿り着く。そこには水、レモネード、アイスティーが用意されていた。本当に全てのモノがおいしく感じられる。そして、来た道を戻ることに。

ボクが行きにバスに乗っていたので、今度はピックアップトラックの方に乗ってみる。サングラスをきっちりかけてコンタクトに砂ぼこりが入らないようにしつつ乗り込む。

なるほど、と思わせるような砂ぼこり。全ての穴に砂が入り込んでくる感じ。

というわけで、口を閉め、目を閉じ、眠りに入る。ガタガタ揺れる車の上で寝るのは、Kenya以来病みつきなのでぐっすり。途中雨が降ってきたらしく、ちょっと目が覚めるがまた眠りへと。

気付けば、ロッジに到着していた。鏡を見れば、30年後のボクがそこにいた。30年後も禿げずにこんな風に白髪になっていてくれたらなぁ、と思う。


Moose Point Trip

July 28, 2000

今日から2泊3日でMoose PointというMaine stateの森林地帯のど真ん中へとTirpに行く。

みんなが授業に行っている間に、ボクはもし万が一雨に見舞われたときのボードゲームを買いに行く。Pictionaryは英語のスキル向上に役立つと聞いていたので、それを購入。まぁ、やってみたいけどそれが活躍しないことを今は祈るだけ。

ロッドやリール、ルアーなどの釣り道具やその他もろもろの遊び道具を詰めてバスは出発する。

片道4時間近く。Highwayから遥かに離れた、本当に木と水、空気が存在の99%を占めているような場所に辿り着く。しかも、ボクらが泊まるキャビンまで乗ってきたバスでは行けない。近くまで行って、小型のバスとピックアップトラックに便乗して、湖の畔を目指す。

それぞれのキャビンに荷物を置いて夕食。目の前にはスゴイ光景が広がっている。

ここであと二日ばかり自然を堪能することになる。今までも十分、自然に囲まれてたわけだけど。

でも、やっぱりトラブル発生。

犬がどうしてもダメなヒヨコちゃん二匹。ここのロッジには大きなゴールデンがいる。大部分のヒヨコちゃんは一緒に戯れているけれども、どうしてもダメらしく、繋いでくれと理不尽なコトを言う。

確かに、犬がダメだって言うのも分かるけど、彼らもココに元から住んでたわけで、そんなコトは出来ないというのが、スタッフの考え。

と言うわけで、そのヒヨコちゃん達が移動するときには誰かが離れたところで犬と遊んでいて、近づかないようにする。

本当に予想外のところで変なトラブルが…


IEI Olympic & BBQ

July 27, 2000

ヒヨコちゃん達が参加している、Intensive English InstituteのOlympicとBBQが今日あった。

名前は大げさだけど、みんなで適当に運動して外で夕飯を食べましょうって感じかな。

みんなは期待過剰だったみたいで、ただハンバーグとチキンを焼いているのにちょっとショックを受けたみたい。アメリカでそんなに期待しちゃいけないってば。

でも、サウジアラビアの奴とかと一緒にやったUltimate frisbeeは面白かったな。


凹む

July 26, 2000

何故かココのスタッフから厄介な仕事を持ち込まれる。

その仕事の内容は、日本人の患者が何かの検査をするので、その通訳をして欲しいとのこと。

今日はその日。

大体、まだこっちに来てから1年しか経ってないし、英語に元々自信があるわけでもない。最初は断ったし、誰もヘルプ出来ないんだったらトライしてみてもいい、って話だったんだけど、実際にお呼びがかかる。

前の日から若干緊張してたし、やるからには頑張ろうと思ってたけど、思わぬところに落とし穴が。

教えてもらった病院の名前をちょっと勘違いして、違う病院に行ってしまう。

しかにもこれには伏線がある。何回かBangor airportに行ってその近くにEastern Maine Medicalcare Mallというのがあるのを知っていた。でも、行かなければいけなかったのはEastern Maine Medical Center。

ざっとe-mailに目を通して、自分が知っているところだと勝手に勘違い。

もちろん、それをボクに依頼してきたスタッフに「空港の近くだよね?」って確認してたんだけど、上手くそこら辺の意志の疎通が出来てなかったことも事実。

間違ったところの病院の先生と話してやっと自分の間違いに気付く。

しかもそこは一度も行ったことが無い所。かなり苦労して、たどり着くものの検査は終了した後。

こっちに来て、困っているヒトの気持ちが本当にわかるようになったし、出来ることなら助けてあげたいと思うけど、その意志があるにも関わらず、自分のミスで自滅。

なんだかなぁ。


staff meeting

July 25, 2000

今やっている仕事に関して一週間に一回ミーティングがある。

毎回、Jeanから「何か変わったことはない?」って聞かれるけど、取り立てて報告しなければいけないようなことは見当たらない。多分、これは上手くいっている証拠だと思うんだけど、もしかしたらボクがそういうのに鈍いのかもしれない。

例えば、授業で分からないことは無いか?と先生が質問する。ボクは分かっているつもりでいるから、取り立てて質問は見当たらない。

でも、クラスメイトは質問する。時には、そんなコトもわからないのか、って思うような質問だけど、時には「あれっ?」って思うこともある。クラスメイトが質問した内容を聞いて初めて、自分がわかってなかったことに気付くのだ。

確かに、復習をしているときなどは「???」って思うようなコトも出てくるんだけど。

つまり、ボクはあんまり考えて行動してないのだろうか?

______

今回のプログラムに関して、3回レポートを提出しなければならない。ボクは日本から日本語で全然OKと言われていたので、バリバリ日本語で書いていたんだけれども、Jeanからレポートのコピーを要求される。ってな訳で、至急summaryを英語で作って提出。ふぅ。堅物のJeanには見せられないような内容も日本語で書いていたから、適当に体裁を整える。なんてこったい。


トラブル、トラブル

July 24, 2000

なんだか、疲れた。

ココに来てから、持ち込まれるトラブル、苦情で厄介なものはいえば女の子からばかり。

たしかに、結果的にそういうトラブルとかが起こるのは女の子が多いんだけど、なにが一番ボクを悩ませるかって言えば、彼女達が冷静ではないこと。

論理的に考えて、冷静に対処しなければいけないのに、勝手に怒って、勝手に混乱している。

勝手に何かをして、どんどん騒ぎは大きくなるばかり。

別に何でもいいけど、取りあえず落ち着いてくれない?

ヒトにモノを頼む言葉じゃない言葉を吐いたところで、何にも解決しないし、こっちとしても何だか気分が悪くて助けようっていう気も当社比30%減。


Korean Party

July 23, 2000

ここのdormには短期の交換留学で来ている韓国人の学生が沢山いる。

今日はひょんなコトから、彼らのdonce party(ただの飲み会かも)に参加することに。韓国の音楽をガンガンにかけて、みんなガンガンに踊ってたけど、なんだかとってもfunnyな感じがした。

やっぱり、coolな感じからは程遠い感じ。別に、これは韓国人達をバカにしているわけじゃないけど、やっぱり文化的な洗練さで言えば日本は進んでいる気がした。

本当に、男尊女卑的な雰囲気はあった。もちろんそれは凄くプリミティブなモノではなくて、日本の20年くらい前に見られたようなもの。

経済学的には韓国経済は20年遅れで日本経済が歩んできたような発展のパターンをたどっていると、一般的に言われているけれども、文化的な雰囲気っていう観点でもそうな気がした。

でも、本当に韓国のヒト達としゃべるのは面白い。やっぱりある程度共通な文化的な背景があるし、たぶんこれから協力的な関係を気付いていかなければいけないから。

彼らと話していてもそういう雰囲気を感じる。


Surprise party

July 22, 2000

今日はヒヨコちゃんの一人が誕生日を迎えた。

そこで、surprise partyを企画。まぁ何か特別なことが出来るわけではないので、アイスのガロン缶を買ってきて、それをケーキ代わりにロウソクを立てる。

先にみんなをbasementに集めておいて、後から主賓を登場させる。

主賓が登場したらクラッカーの嵐がお出迎え。

彼は本当に驚いたらしく、腰を抜かしていた。

ダチョウ倶楽部の上島、真っ青のリアクション芸人っぷりだった。

協力してくれた他のヒヨコちゃん達も、初めての経験に参加したことで喜んで満足してくれたみたいだし、ボクとしてもそれは嬉しかった。

でも、あとこれを3回考えなくては…


友達

July 21, 2000

ボクは自分の友達を「トモダチ」と呼ぶことにナゼか抵抗がある。

もちろん、他人にそいつとの関係を説明するときには当然、「トモダチ」という言葉を使って説明するわけだけれども、本人に面と向かって「オレとおまえはトモダチだ」なんてコトは口が裂けても言えない。

本当に友達ならば、それは「トモダチ」と口に出さなくても分かるものだろうし、ボク自身そうあって欲しいと思う。

当然出会いがあれば、別れもある。去年のこのプログラムにいた奴でそのままUMaineに残ったやつが今日ドイツに向かって旅立っていった。

彼がココにいたから、この仕事を引き受けた部分もあるし、一緒にUMaineの夏を遊んで過ごせなかったのは残念だけど、それを悲しいとか思うことはない。続いていく友達とはどんなことがあっても、絶対連絡するはずだし、いつかまた再会することがある。逆に、タダの知り合いだったり二度と会いたく無いようなやつだった、二度と会わなくて済むから逆にせいせいするだろう。

だから、ボクは別れの時には涙は見せない。


予習

July 20, 2000

やっと自分の勉強を始めるべく、持ってきた教科書を広げる。

fall semesterはMath departmentのMAのクラスを取るので、その予習。今まで4.0をキープしてきたけど、さすがにこのクラスを取るとそれをキープすることは難しくなるかもしれない。

だからといって、手をこまねいて見ているのはイヤなので、とりあえず悪あがきの予習をする。

全然受け付けない種類のモノかもしれない。今までボクらが目にしてきた数学はある意味、問題を解くことが出来ればよいという性質のものだったけど、今回のクラスはどうやらナゼそうなのか証明しつつ深い理解が要求される代物みたいだ。

読む速度は断然今までよりも遅いけれども、これは多分、将来ボクの糧になってくれるのだろう。


食事+睡眠+運動=24時間

July 19, 2000

なんだか、今日はタイトル通りな感じ。

大した問題も起こらず、3度のご飯を食べ、サッカーをし、そして寝る。

だんだん打ち解けてきて、楽しくなりつつあるかも。

でも、この様な生活は楽しくはあるものの、やはりボクの考える時間を削る。

確かに、ヒヨコちゃん達と触れ合うことで後々得るものは絶対にあるはずだけど、ともすると楽しく遊んだっていうだけになってしまうかもしれない。少なくとも自分の時間を確保して、少しでも何かについて考えられるようにしないと、と思う。


満タン

July 18, 2000

昨日に引き続いて運動。

今日はここのIntensive English Instituteが主催するOlympicだったんだけど、Thunderstormが来るかもしれないというので、中止に。でも、みんな体を動かす気が満タンだったので何人かとサッカーのミニゲームをすることに。ただの遊びだけど、みんな時たまマジになったりして夕食までの時間を芝生の上で跳んだりはねたり満喫する。

クタクタになりながらも、自分の勉強をちょっと。経済で使う数学じゃなくて、Math majorのヒト達が取る授業の予習なだけになかなかスムーズに進まない。この調子で行って大丈夫なのか凄く不安だけど、まぁやるしかない。

勉強を終えた後、眠たい目をこすりながら、みんな宛てのinformationをe-mailで送る。

とりあえず、今日は疲れた。


5 on 5日韓戦

July 17, 2000

ひょんなコトから同じdormにいる韓国人達とバスケをすることになる。

3 on 3のコートで男女混合の5 on 5。負けたチームがジュースをおごる約束をする。

まぁ、結果的には負けてしまったので、あんまり言えないけど、最後の追い上げや実質3 on 4だったコトを考えると、かなりの善戦。

なんでだか分からないけど、みんなムチャムチャ燃えて、ムチャムチャ動いた一日だった。


金融工学

July 16, 2000

日本から持ってきた本を少し読む。

その本は岩波新書の「金融工学とは何か -「リスク」から考える- 刈屋武昭著」。まだまだ、端書きを読み始めた段階だけど、早くも自分的には大きな発見があった。

今まで、ボクは金融をある種の制度として考えてきた。それは日本の企業がメインバンク制に依存し、金融機関が間接金融を助けてきたという背景も大きく影響している。そして、金融は経済活動の中心になってはいけない、「通常」の経済活動を潤滑に行うためにサポートするものだと捉えていた。

しかしながら、どうやら時代は大きく変化してきたようである。普通のヒトはそれを、もしかしたら、当然の流れと考えていたかもしれない。しかしながら、ボクにとっては極めて受け入れがたいモノであった。

単純にいって、お金を右から左に動かすことによって利益を上げていくという認識があったからである。しかしながら、彼に従えば、金融工学、もしくはこれからの金融機関というものは、これまでに蓄積された資本を将来世代の生産性と価値を創造する重要な生産要素として捉え、それを最適に配分し、有効に活用していくことが勤めであり、それをサポートするものらしい。

ある種、今までは固定観念的に毛嫌いしていた部分もあるけれども、この様な説明を聞くと、もしかしたら興味深いことであると感じる。

もしかしたら、彼のように考えている人々は一部なのかもしれない。大部分は、金融工学によって派生するprofitに興味があるのかもしれないけれども、このような見方をしているようなヒトがいることはなかなかボクにとっては興味深い。


少年

July 15, 2000

やっとprogramが始まって一週間が経つ。

みんなもだいぶ慣れてきたし、ボク自身もだいぶ自分の時間が増えてきた。これで自分の勉強がやっと始められる。

それにしても、今日は天気が良い気持ちの良い週末だった。みんなBangor mallに行って、ローラーブレードを買ってきたり、水鉄砲を買ってきたりして少年のように無邪気に遊んでいる。

そういえば、ウチの生徒の内、新たに2人が坊主頭になった。これで総勢4人の坊主頭が並んでいる。

確かに、maineは全くと言っていい程田舎だけど、そういうなんだか少年に戻って遊べるような空気が流れている。

だけど、無邪気に遊び過ぎて、今日から遅れて参加する生徒をair portにpick upしに行くのを忘れそうになる。

air portに着いてみると、誰もそれらしきヒトがいない。やっちゃったかなと思って、焦って戻ってきてみると、飛行機が遅れているという留守電が。

急いでair portに引き返す。危うく、坊主頭になる危機を免れた。

ボクは、何かやらかしたら自分の頭を坊主にする約束を彼ら(so-called BOZ)としている。


Mini-Golf

July 14, 2000

今日はIEIが主催するactivityのある日。

何だか、UMaineの毎日も落ち着いてきて、今日はこのactivityに参加することが仕事みたいなもの。

韓国人の生徒とアメリカ人のおっさんと一緒にMini-Golfをしてみる。

最初は、断然ボクのスコアは良かったけど、後半ボロボロ。

パターゴルフと言えども、すごくメンタルな部分が重要なことを実感。

戻ってくると、坊主頭の通称「班長」がLAN cardを導入してinternetに接続しようと四苦八苦している。でも、彼の偉いところはできる限り自分でやってみようという姿勢。

結局、詳しいやつの助けを借りることになったけど、9割程度完成してた。そういう自分で四苦八苦してやり遂げようって言う姿勢が大切だし、そういうヒトが詳しく慣れるんだと思う。


フロッピー

July 13, 2000

相も変わらず、コンピュータ系のトラブルが起こる。

今日は、ある女の子の持ってきたNECのlaptopのフロッピーが元々壊れていたことが発覚する。LAN cardのドライバをインストールする際に発覚。

彼女は半狂乱。internetに繋げないことと、フロッピーが壊れていることを混同する。彼女自身にコンピュータの知識が皆無と言ってもいい程なので、ある種パニックになることは分かるけど、何にでも冷静に対処できるコトって重要だと思う。そうしないと、解決するモノも解決しなくなってしまう。ボクが出した、3つのソリューションを冷静に考えることも出来ない。

LAN cardのドライバをインストールするぐらいならば、いくらでも代替案を考えることが出来るから、それ自体はどうでもいいけど、壊れたときにrecover出来ないのは痛い。結局、LAN cardの問題も解決したし、彼女はそのフロッピーが壊れたパソコンを使い続けることにしたみたいだ。でも、一番の問題は、このご時世にフロッピーが無ければ致命的なwindowだと思う。今、iMacやiBook、Powerbookにはフロッピーなんか全く付いていないっていうのに。

それにしても、internetが多くの人々を飲み込んでいる時代であることを実感する。ボクが去年参加したときには、一週間以上internetに接続できなかったし、それでブーブー文句をいう奴もいなかった。

でも、今は誰も彼もがinternetに接続することをスゴク必要としている。


不平+不満=無

July 12, 2000

昨日のmeetingでinternetの接続について話す。

どうせ、このprogramが終わったらそれぞれ自分たちの学校で自分でLAN接続なり、PPP接続をしなければいけないわけだから、今から自分でやってもらおうと思って、かなり突き放した言い方をした。手助けはしない、自分で調べるコトって。

でも、一部のヒトにはそれが理解して貰えなかったみたい。

まさに運が悪いとしか言い様がないけど、LAN cardを挿入した時点で一人のVAIOはクラッシュしてしまった。当の本人は全然非難がましいことは言わなかったけど、周りにいた女の子とかは「maxが自分たちでやれって言ったからだ。maxのせいだ」なんてコトを言っている。

別に、このprogram中に全員から好かれようとも思わないけど、そういうヒト達は、何だか見ていてかわいそうになる。どう考えても、自分が100%望ましいシチュエーションに置かれるコトなんてあり得ないし、ましてやアメリカではそんなコトはあり得ない。そういう状況にこれから自分が置かれるようなヒト達が、起こったことに対して他人のせいにしてしまうのは、すごくネガティブなコトだと思う。

不平、不満はいつでもあるけど、それをどうするか、どう捉えるかが一番重要だし、それで多くのことが決まってしまう気がする。


クラス開始

July 11, 2000

今日から行きなりいくつかのクラスが始まる。

ボクのmacは依然としてinternetに繋げることが出来ない。色々駆け回ってtryするもダメ。早く繋げたい。

みんなもだいぶ打ち解けてみたいだ。smoker teamはKoreanとかともしゃべるようになる。

その時、意外と興味深いことを聞いた。BuffaloにいるKoreanの多くはキリスト教を信仰しているし、事実クラスメイトからは多くのKoreanは信仰を持っていると聞いていたけども、実際はそんなコトは無いみたいである。

BuffaloにはKoreanのための教会が3つ程あるらしいので、必然的にそのような人達が集まってくる要素があるのかもしれない。

さらに、日本人ならばほとんどの人々が知っている統一教会だけれども、話を聞いたKoreanの話では、信者は本国ではあまり多くない様子。また、日本ではある種のいかがわしいモノという扱いを受けているけれども、日本ほどの扱いは受けてないみたい。

今日は$1 movieの日で、Mission Impossible 2をみる。実はこれがアメリカで初めての映画。


クタクタ

July 10, 2000

いきなり、朝一番で最初のOrientationが始まる。program全体のこと、visa関係のこと…placement testもいきなり行われる。

Maine cardを作ったり、First Class clientのlectureを受けたり、なかなか盛りだくさんで、まだまだ時差ボケもありそうな彼らにとってはなかなか大変そう。

実際問題、ボク自身も慣れない仕事に追われ、英語を沢山使い、終わってみればヘトヘト。

Cambridge travelからKeikoさんが来て、プレゼンをしたりもした。それにしても、彼女のパワフルさは、本当に凄いと思う。プレゼンを終えるころには、ほとんどみんなを将来的な顧客にしてしまったのではないだろうか?


はじまり

July 9, 2000

Aroostook hallにcheck-inする。

Doubleの部屋を一人で使えるので、机もベッドもくっつけて、ほんのちょっと贅沢(?)な雰囲気にしてみるものの、ベッドを両方同時に使うことはなく、貧乏性なところを実感。

夜、これからボクが面倒をみることになる、総勢34人のSakae studentsが到着する。去年よりも少ないもののそれでもスゴク多く感じる。

色々なバックグラウンドを持った彼らがどのような生活をこれから送っていくんだろうか?

楽しみでもあり、ちょっと不安も。


from Boston to Maine

July 8, 2000

比較的ゆっくりと起きた後(それでもボクには早い)、三日間世話になった友達の家を後にして、これから6週間滞在するUniversity of Maineを目指す。

map questでゲットした地図はBostonの中心部を走るにはやっぱり十分ではなくて、微妙に戸惑いながら一路Maineを目指しI-95を走る。途中までは週末のせいか、自転車を乗せた車などでちょっと混雑気味。でも、New Hampshireを抜けていくとだんだん車の数は少なくなってくる。夜には絶対に通りたくないような寂しいhighwayに変わってくる。

ひたすらMaineを目指し、今回も同様にほぼノンストップでI-95を駆け抜ける。Outletで有名なFreeportなどを過ぎれば、あと一時間ほどの旅。

exit 50を降りれば、見慣れた風景が広がってくる。

初めて、アメリカ本土に来たのはそういえば、一年前のココだったなと思うと、なんだか時がスゴク早く経ってしまった気がした。

UMaineにたどり着き、Public Safetyでparking permissionをもらい、今日泊めてもらう友達がいるdormを目指す。そこは、ボクらが去年の夏に騒いだり、勉強したりした懐かしいdormだった。

彼の部屋をいきなり訪ねてみると、何故か彼はそこにいた。一年ぶりの再会。

その後、一緒にBangor mallに行ったり、中国人が作っているという怪しい日本食を食べに行ったり、今日もまた酒を飲んで多いに盛り上がる。

当たり前だし、ありきたりのことだけれども、本当に友達はいいモノかもしれない。全然勉強しなかった去年のsummer programだけど、いい友達だけは一杯出来た。UBのsummerに参加していたら得られなかったもの。

今年のprogramも明日から始まる。


Boston最終日

July 7, 2000

クタクタに疲れ切った揚げ句、ジンを飲んだりして、泥のように寝ていたところを、(ボクにとっては)朝早く友達に起こされる。

今日はHarvardやMITなどがあるCambridgeなどを見に行く。もしかしたら、気のせいかもしれないし、Harvardなどがあるっていうだけでそう思うのかもしれないけど、なんだか知的なにおいのする街だった。そこまで寂れている街でもないし、かといって派手すぎるわけでもない。なんだか、ある意味、落ち着ける街だった。

そこで何故か、友達とアジアや日本と韓国との関係、戦争のことなどを多いに議論する。もしかしたら、ボク達もあの雰囲気に影響されたのかもしれない。

日本の本を売っている流石書店などに行った後、残された時間も少なくなってしまったので、Boston美術館に行くのをskipして友達の家まで帰る。でも、気のせいだけど、どこにMITがあったんだろう?忘れてしまったのかも。


Boston Pops

July 6, 2000

チンタオ・ビールやサミュエル・アダムスを飲んで、熟睡しているところを、友達に起こされる。

今日は、早めに出て朝食をB.U.の近くで調達して、チャールズリバー沿いで食べる。太陽はさんさんと照っているし、ベーグル+クリームチーズは美味いしで、朝から大満足。

そして、今回のBoston滞在の目玉(?)、Duck tourの申し込みをしに行く。それと同時に、そこら辺を見て回る。ちょっと前に、日本から帰ってきたばっかりだし、Torontoにも行ったしで、あまり洋服には触手が伸びなかったけど、朝見た天気予報でmaineの寒さを思い出したので、フリースを一つゲット。そういえば、BostonにあるPatagonia shopでは日本では売られているステッカーを全然freeで配っていた。どういうコト?

お勧めのカレー屋で昼食を取った後、Duck tourに向かう。一緒に乗り合わせたのは、結構retireしてしまった人達みたいだったけど、意外とノリが良くてみんなで「ぐわぁっ、ぐわぁっ」って言いながら、かなり楽しんだ。一緒にいた友達は、「照れているんじゃないか」的なことを言ってたけど、ちゃんとボクも「ぐわぁっ、ぐわぁっ」言ってたもんね。

なんだか、色々とBostonの街中をぶらついて、半ば気力で歩いてBoston popsを聞くために会場へと向かう。開演3時間前程ではあまりヒトは来ていなかったけど、さすがに1時間前ともなれば、いろんな人達が集まってくる。何人か日本人もいたし。Burger Kingで夕食を調達しつつ、開演を待つ。今夜はGospel night。リハーサルだけでも鳥肌が立つ感じ。

今日は二部構成というか、最初に何曲かのclassicの演奏の後、Gospelが始まる。確かに、Orchestraの演奏も悪くなかったけど、鳥肌が立つようなモノじゃなかった。でも、Gospelは何かヒトの心の中心を揺さぶるような感じで、結構鳥肌を立ててた。

だんだん、曲が進むと、だんだん会場も盛り上がってくる。前に座っていた人達は歌っている何人かと知り合いみたいで、大盛り上がりだ。見えないし、つられるようにして立って見ているといつの間にか会場は総立ちの様相。スゴク年を取っていて、それまで静かに聞いていたようなおばあちゃんまでもが体を揺らし、リズムを取りながら楽しんでいる。

なんだか、こんな感じの雰囲気はなかなかいいモノだと思った。


B2B (Buffalo to Boston)

July 5, 2000

朝、6:00に起きてBostonに向かう準備をする。

昨日の夜は、これから6週間の準備で2時くらいまで起きていたのに、不思議と目はシャキッとしている。今まで経験したことが無いモノばかり続くからか、ある種の興奮状態なのかもしれない。学校にアドレスチェンジの手紙を投函したり、近くのスーパーでマフィンとcafe lateを買いつつ、I-90を目指す。

Buffaloから少し離れて、I-90に合流した後はほとんどBostonまで一直線。日本から持ち帰ってきたDicsmanをカーステレオに繋いで快調にとばす。

途中、イヤな感じで中央分離帯の木陰の間にパトカーが潜んでいて、スピード違反を取り締まっている。それに気をつけて、周りの車の流れを乱さない程度でとばす。

ガソリンを給油したり、トイレに行くために止まった以外はほとんどノンストップ。

だんだん、腰は痛くなってくるし、陽にはあっという間に灼けるしで飽きてきたころ、やっとBoston近郊へと近づく。

友達の家を目指すべく、highwayを降りるけれども、map questで検索した地図ではどうにもこうにも分かりにくくて、何度も迷う。

結局、7時間を越すドライブを終えたころにはフラフラになっていた。

ちょっと休憩した後、プロジェクトのミーティングがある友達を学校まで車で送り、その間キレイな学校の中庭でたまっていたメールの返事などを書く。

その日の夜は、友達と二人で連れ添って、B.U.の近くの中華料理屋へと向かう。

なんだか、むちゃくちゃ長い一日だった。


Fireworks

July 4, 2000

今日はindependence day。学校で花火を打ち上げるというので、ルームメイトや友達と一緒に見に行くコトに。

最初の話では、アメリカの花火はしょぼいし、全然数も上がらないという話だったけど、これまたどうして、結構満足できるものだった。

当然、日本の大きな花火大会と比べると遜色があるのは否めないけど、それでもBuffaloに戻ってくる前に、日本で是非とも花火大会を見たかったボクとしては、かなり満足。

その前に、Denny’sでご飯を食べたけど、ここで生まれて初めての体験をすることに。

Somokers用の隔離された部屋で頼んだものを食べていたら、何と見たことも無いモノが料理の中に入っていた。

それは、フライパンのネジ。

どこをどうやったら、フライパンのネジが混入するのかは分からないけど、とりあえず、使い古されて色の変わったネジが入っていた。

別に、そんなコトを気にするわけではないので、そのままクレームも付けずに平らげて、キレイになった皿の上に、ネジを立てて帰ってきた。

あれに気付いて貰えたかな?


Toronto Again

July 3, 2000

前回のリベンジを果たすべく、Torontoに向かう。

前回とは打って変わって、道路は空いていて快調にとばす。結局1時間45分ぐらいで到着。小雨が降っていたけど、まぁ幸先良いスタートかも。

前回食べれなかった飲茶を食べに行く。まぁ、店は混んでいてよさげだったけど、お客の大半は中国系の人達。店員の英語は心もとない。っていうか、英語だか中国語だかの区別も怪しい。

最初に、何故か甘い豆腐を食べるコトに。てっきり、塩味系のモノだと思っていたけど、全然甘い。豆腐自体は結構おいしいので、醤油とかだし汁で食べたかった。

餃子などを食べたけど、まぁOKというコトで。

食後に街を散策。

日本にいるときから楽しみにしていたし、前回は、全然見れなかったので、期待に胸を膨らませていたけど、なんだかボクの期待が膨らみすぎてたみたい。Torontoを過大評価してた。まぁ、空いてなかった店なんかもあったし、ちょくちょく来れるといいかも。

結局、一応欲しかったものは購入。

簡単に、夕食を食べて、帰宅。帰りは1時間半で家まで到着。でも、調子に乗り過ぎてて、highwayを降りるときちょっとスピードだし過ぎ。ブレーキを踏みながら、ハンドルを切ってしまったので当然車の後ろは滑ることに。ちょっと、というかかなりビビった。


BBQなど

July 2, 2000

やっと、重い腰をあげて来セメ取る、math departmentのクラスの予習に取りかかる。

図書館に行ってみるものの、午後1時からというコトで、あえなく撃沈。おとなしく家に帰って勉強を開始。結局2時間弱勉強して、友達が主催するBBQに行くコトに。

みんなで卓球をやったり、ビリヤードをやったりで楽しく過ごす。
久しぶりにビリヤードをやったけど、マジでヘタクソ

ビールなんかを飲みながら、肉を食べたり。久しぶりに、気持ちの良い時間を過ごした。

でも、あまりにも気持ち良すぎて、外でアルコールを飲んではいけないことをすっかり忘れる。University Policeが来たときに、我に返り、みんなで慌ててアルコール類を部屋の中に。

そこで、mac友達を見つけたりもした。

まぁ、たまにはこんな日も悪くない。


なんだかダラリと

July 1, 2000

もう、タイトルだけで今日の行動が全てまとめられるような、なんも生産的ではない7月の始まり。

やったことで、記憶に残っていることといえば、DiscmanとMD Walkmanにつなげるためのスピーカーとウーハーのセットを物色しに行ったぐらい。是非とも買いたいと思って意気込んで日本から帰ってきたものの、車の修理という予想外の出費のせいで、予算縮小の憂き目にあってしまった。更に、その緊縮財政の元では、たいしたものを探せるわけではなく、結局スピーカー+ウーハーセットは当分お預けというコトに。

うがぁ。

まぁ、日本から大量に買い込んできた本が時間を気にせずに読めるのは何とも言えず良いけど。

現在、正力松太郎について書かれた「巨怪伝」を読んでいる最中。それにしても、日本の社会が成熟していなかった明治・大正・昭和初期は本当に激動の世の中だということを今更ながらに実感する。もちろん、そこにかかれていることが全て真実だとは思わないけれども、歴史の年表では感じ取れない、勢いというか、凄まじさを感じる。

現代の世の中で、多くの人が自分なりの信念なり、ある種の思想を持たずに生きているけれども、それは時代的に当たり前なのかもしれない。彼が生きたあの時代に、何の自分の拠り所となるものが無かったらどうなるかと思うと、彼が強力な信念によって、色々な物事を突き動かしていったのも、これまた当然なのかもしれない。