考えるというコト

April 9, 2002

Buffaloの時の友達のBirthday partyがあったので、週末に、LAまで行ってきた。

渋滞に何回も巻き込まれたり、知らないうちに(?)違うHighwayに乗ってたりして、3時間以上かかってしまった。San Diegoを抜ける前にも結構ひどい渋滞があって、行くのを止めてしまおうかと思ったほど。もともと、勉強しなきゃ、っていう先入観(?)もあって、行くかどうしようかかなり迷ってたので、「やっちまった」感が無茶無茶強かったけど、結果的に、LAまで行って本当に良かったと思った。

Buffaloにいたときは、今と比べると時間に余裕があったせいか、イロイロなことを考えていた気がする。それに比べると、今の自分はどうだろう。Qualifying examの心配をしたり、その先のPh.D. degreeを取った後の就職のコトを考えていたりはするモノの、ほとんどと言っていいほど生産的なコトを考えない日常になってしまった気がする。

確かに、今は、賢くなかった自分が徐々に賢くなっていく過程自体が楽しいし、自分が、それまで不可能だと思っていたことが少しずつ、ほんの少しずつだけど、それに近付いている実感もある。だから、他のヒトから見れば、何でeconomicsなんかをまだまだ勉強したいんだろう、って感じだろうけど、自分では続けていけているのだと思う。

でも、それは本当に短期的なコトに過ぎなくて、自分に取って大切なことを忘れているんじゃないかと思った。勉強するにしたがって、賢くなっていくのはいいけど、それまで持っていた自由で柔軟な発想とかがあっという間に化石の様に硬くひからびてきてしまっているのを気付きながら、気付かないふりをしてきたのかもしれない。

もしかしたら、それが自分の限界なのかもしれない。そうではないと信じたいし、そうではないとも思う。本当に、自分が感じる限界なんて限界じゃないっていうのは、アメリカに来てから学んだコトのはずだし。

いや、こんな自分の内面のことを書くつもりじゃなかった…

彼のBirthday partyに行って、色んなタイプのヒトに会うことが出来たし、凄く興味深いヒトたちもいた(もちろん、全部じゃないけど)。自分にとって、反面教師的に見えるヒトもいたりして、そういう意味でも(もちろん、単純にみんなとわいわいガヤガヤとすることも含めて)、イロイロと楽しかった。
本当に、アメリカにいると、日本にいてはナカナカ話したりする機会がないようなヒトと簡単に知り合えたりして、本当に楽しい。日本からくるヒトの中には、日本人とcommunicateすることを避けるヒトもいるけど、イロイロ刺激を受けるのは、やっぱりなんだかんだ言っても、同じBackgroundを持っているヒトの様な気がしてならない。


The gap between us

April 1, 2002

「既成政党に対する強い不信と疑惑を示したものだ」

横浜市長選の結果をうけて福田官房長官は、こうコメントしたらしい。

実際に、TVで色んな情報を得たりしてたわけじゃないから、断定は出来ないけど、そういうもんじゃないと思うけどなぁ。

少なくとも、有力候補が片やヨボヨボのジイさんで、片や30代半ばのフレッシュさをウリにした若手の二人だったら、どう考えても予想される結果だったと思うんだけど。

ヨボヨボのジイさんをみんなで担いだっていうコトが問題なんだと思うし、結局はニーズを吸い取れてないだけだと思うんだけど、そう仰々しく理由付けする必要はあるのだろうか?
______

明日から学校がまた始まるので、今日は早く寝ようと思ったけど、司馬遼太郎の翔ぶが如くを読んでいるうちに眠くなくなってしまって、取りあえず、なぜか分からないけど、徹夜決定。

しかも、ゴボウが余っていたので、深夜に五色きんぴらなるものを作ってみる。インターネットでレシピを調べて作る。レシピ通りに作ったら、実際は四色(ゴボウ・ニンジン・セロリ・豚肉)だった。唐辛子も入れて五色なのかな?

取りあえず、ゴボウを切るのが面倒くさすぎ。という訳で、当分作らないこと決定。